大仙の若葉

たのしいアフィブログ

物語の媒体としてのエロゲ、るーすぼーい流の盛り上げ。

 無能なナナの3巻が出た。amazonの発送が遅れて俺はまだ読んでいないが、きっとおもしろいだろう。Kindle版の1巻が何故か半額なので、まだ読んでいない人は読んでみよう。

 ぼくがるーすぼーいを好きな理由はふたつ。かっこいい主人公を書いてくれるところと、盛り上げの演出だ。今回はタイトルの通り、後者である盛り上げについて話そうという試みです。わかりにくい文章だったら、ごめんなさい。

 

 ですが、その前に、物語の媒体としてエロゲはどうなのか、という話を少ししていきたいと思います。まずは前置きを少々。

 小説、映像。どちらも古今東西より存在する物語の媒体ではありますが、やはり一長一短な部分はあります。小説の場合は視覚情報がまったく得られませんから、語り手から提供される情報をもとにテキストを読み進めるしかありません。そして、すべての情報が語られるわけでもありません。例えば、「本棚があった」という一文から得られる情報は、ただ本棚があるということだけで、何冊の本が収まっているのか、どんな本なのかといったことは、情報が補足されない限り決してわかりません。ですが映像であれば、その本棚を少し映すだけで、何が、何冊か、といったことは容易にわかります。前述したように、情報を補足して冊数や本の題名を提示するといったことはできるわけですが、それらを列挙した文章を読むよりも、映像を見たほうが時間がかかりません。つまり、費やす時間に対して得られる情報が少ないというのが、小説の欠点です。ですが、視覚情報が得られないことを逆手にとった叙述トリックなんてのができたりするわけですから、必ずしも欠点とはいえないかもですが。

 映像には音があります。BGMや声ですね。正確には視覚から得られる情報というわけではないんでしょうけど、小説にはないものなわけですから。

 映像では映せない人の内面を描き出せたりするのは、小説の利点です。映像では外面しか映すことができませんから、俳優の演技でそれを表現したり、雷を落としたり雨を降らせたりといった暗喩などの工夫をこらすわけですが、やはり限界があります。演技や暗喩で、悲しんでいることや怒っていることを表現できていても、それを詳細に表現することまではやはり難しいです。村上春樹のシャレオツな比喩や、色んな感情が混ざりあったジレンマ的な気持ちを映像で表現することはできないわけですからね。情報の緻密さという点では、小説の方に軍配が上がります。

 ここで媒体としてのエロゲの話になります。

 エロゲの画面構成を分けると、背景、立ち絵、CG、BGM、メッセージウィンドウとなります。前の四つが視覚情報、メッセージウィンドウがテキストとなります。エロゲはいわば、視覚情報とテキストが渾然一体となった、小説と映像の良いとこ取りをした媒体なのです。

 場面ごとに設定する5W1H。そのうち、いつ、どこで、だれが、といった情報は視覚情報でクリアできます。だれが、というのは立ち絵を配置すれば良いわけです。どのように、どうしたか、に関しても、少しなら立ち絵で済ませられます。「彼女は笑みを浮かべた」というのをテキストで表現しても良いわけですが、ヒロインが笑っている立ち絵を配置すれば一発なわけです。どこで、に関しても背景で一発なわけです。もちろん、その背景が初出な場合は最低限のテキストによる説明は必要なわけですけど、それ以降は必要なくなります。いつ、というのも学校の背景を夕暮れにしておいてモブの学生を散らせておけば、放課後なんだということがわかります。なのでテキストが必要なのは、立ち絵や背景やCGでは表現しきれない、なにを、どのように、どうしたか、といった部分だけなのです。なのでよくできたエロゲは、その三つを中心に据えて話を進めて、テキストにせずとも伝わることはノータッチです、たぶん。

 例えば、主人公の内面なんてのは視覚情報にはできないわけですね。立ち絵のパターンに含まれていないものもテキストで表現する必要があります。ヒロインが殴りかかってくる立ち絵がなければ、「彼女が殴りかかってきた」とテキストで表現するしかないわけです。同じことがCGにも言えます。極端なことを言ってしまえば、立ち絵やCGが用意されていれば、エロゲにおけるテキストというのは、会話やキャラクターの内面だけで事足りるのです。最近ではエッチシーンが動いたりしてますから、そういうものに関しては動きのテキストはほぼ必要なく、ヒロインの膣の詳細であったり乳首をこねくる細かい描写、あとは台詞だけでよかったりするのです、たぶん。

 まとめると、

  • 視覚情報 だれが、いつ、どこで、
  • テキスト なにを、どのように、どうしたか、キャラの内面

 これがエロゲの物語構成となるわけです。

 るーすぼーいはこういったエロゲの特性を活かした盛り上げがうまいな、というかぼくは好きなんですよね。

 るーすぼーい流の盛り上げがもっとも顕著なのは、やはり車輪の国です。

 ヒロインの一人と洞窟にやってきて、溝にはまって動けない。でも薬で眠らさなきゃいけない。寝ると体温下がる。死ぬかもしれない。そうなる前に、溝から引っこ抜くしかない。岩を砕かなきゃならない。道具がない。引き返す。戻ってくる。掘削、という流れなのです。ヒロインがピンチ。どれだけ危険な状況か、ということをしっかりユーザーに伝える。洞窟の危険性も、ユーザーは知っているわけですから、そんな状況にもかかわらず、「楽勝だな」とつぶやくモリケンを、かっこよく思わないわけがありません。忘れてはいけないのがBGM。この場面、この作品に限らず、危険な状況→主人公の決意→熱いBGMというのは、るーす作品において繰り返し使われる手法です。

 ぼくの好きなG線でもそうです。宇佐美を助けに行くことを決意する場面。危険な状況、主人公の決意、BGM、顔出しといった要素が相乗効果を生み、とてもかっこいい場面になっています。宇佐美を助け出すまでのくだりは、一文がいちいちかっこいい。

 そして、このるーす流の盛り上げというのも、エロゲだからこそ、成立するものなのです。小説であれば、BGMがないので最大瞬間風速を叩き出すことは難しいです。映像であれば、内面が描写できません。エロゲだからこその盛り上がりなのです。

 るーすぼーい、新しいエロゲ出してくんねぇかなあ。

G線上の魔王 オリジナルサウンドコレクション

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