大仙の若葉

たのしいアフィブログ

都合が良すぎて軽くホラー。「母性カノジョ -子宮 帰還編- 体験版」感想

 てっきり「あかべぇそふとすりぃ」からの発売かと思っていたが、なんとびっくり、つぅである。

 悲しかった。「あかべぇそふとつぅ」からこういったゲームが出ることが、なんか悲しかった。復活の日でコケた角川映画が、アイドル売出し映画に路線を変更したときみたいな悲しさがあった。一人戦争の評価が芳しくなかったのが原因なのかは知らないが、割りと正統派なエロゲ作ってるイメージだったから、時代に媚びてくるようなものを作ってくるとは思わなかった。だが、だからこそ、この苦汁を飲みながらであろう媚に応えなければいけないと思ったのだ。べつにそこまであかべぇ好きじゃないけど、やってみたのだ。

 やばい、と思った。この女はやばい。男をダメにする。ある意味で男の敵だ。ちょっとでも心を許せば負けだ。ここまで露骨な女を作ることによって、今の風潮へのアンチテーゼを打ち立てようという魂胆が隠されてるのではないかと思った。イチャラブの皮をかぶった社会風刺なのかもしれない。どんなエロゲだ。

 こんなエロゲだ。主人公がひたすら甘やかされる。以上だ!!。が、甘やかさる、それがミソなのである。この女はたぶん主人公を男として見てないんだろう。抱いているのは慈愛とか哀れみの類で、けっして恋だとか愛といったものではないのだろう。だから、飯作ってるときにセクハラを促せるし、養ってやんよ! みたいなことも言えるのだ。園児に対する保育士のそれとなんら変わらない。園児相手なら乳のひとつが揉まれたところで「しゃあねえな!」ですまされるし、裸見られたところでそこまで恥じらいを覚えないし。が、園児と違って、主人公の場合は身体が大人であるだけに、甘やかしの手段というのが幅広い。セックスはそのひとつにすぎない。

 びびったのが、呼び名の選択肢だ。ヒロインをなんて呼ぶかを選ぶのである。エロゲでよくある遊び心のある選択肢だと思ったのだ。だって「ママ」があるんだぜ?。だって「ママ」があるんだぜ?。120%ふざけて選ぶじゃん?。まじで呼ぶんすよマミーって。リアルで「えっ……」ってなった。雛形あき子かよ。

 これまた「えっ……」ってなったのが、コンセプトだ。『頑張らなくて、いいんです』ムムムッ。がんばるか、がんばらないかの選択肢で、がんばらないを選び続けると、主人公が人間らしくなるという。逆じゃね。甘えた分だけがんばりたくない?。劇場版ナデシコでも言ってたじゃん。「甘えた分だけ男になれよ」って。がんばるを選びつづけて、主人公がちょっとずつ成長していくみたいな感じにしたほうが良くない?。そうやって強くなっていく主人公に、女がだんだん胸キュンしてくるって感じにしたほうが良くない?。仕事でがんばったぶん甘えよう→甘えたぶんがんばろう、っていうサイクルにしたほうが、ぼかあ好きだな。

 そしてなにより怖かった。打算抜きに尽くしてくることに軽く寒気を覚えた。寒気と言うより、困惑に近い。距離感が一気に縮まりすぎて、気持ちが追いつけねえ。下手なドラッグよりこいつはやべえ。そういうゲームと言われればそれまでだが、それでもやっぱりどことなく恐怖と困惑混じりの謎の感覚があった。

 悔しいことに、ぶっちゃけあまり嫌いではないのだ。だって「かまってくれる感」が醸し出てるもん。どっちかと言うと「かまってあげる感」のほうが強いが、どちらにしろ、こういったヒロインは稀有である。悔しいことに嫌いになれない。